| ORONGO・オロンゴ岬 |
VINAPU・ビナプ |
タンガタ・マヌ(鳥人)を選ぶレースが行われる舞台です。沖合いの島モツ・ヌイ(大きな島)へ毎年渡ってくるマヌタラ(セグロアジサシ)がその年最初に産み落とす卵を取ってくるというものです。周りを生みに囲まれた子の島では、渡り鳥マヌタラがマケマケ神のメッセンジャーであり、その卵にはマナと呼ばれるパワーが授けられると考えられていました。 |
精巧な石組みで知られる場所ビナプ。南米インカ文明の石組みにも似ていることから、トール・ヘイエルダール(考古学者)はイースター島の人が南米起源であるという有名なコン・チキ理論を唱えました。また、女性のモアイとも言われている像もあります。その素材はプカオ(髷)と同じ赤色凝灰石でできています。 |
| TAHAI・タハイ |
PUNA PAU・プナパウ |
アフ(祭壇)が3つあり、アフ・ヴァイウリ、アフ・タハイ、アフ・コテリクそれぞれにモアイが復元されています。特にモアイ・コリテクは頭にプカオをのせ、レプリカの眼が描かれています。パイナと呼ばれる宗教儀式の舞台、住居跡ハレパエンガ、鳥小屋ハレモアなども見どころです。ハンガロア村からも近く、モアイの後ろに美しい夕日が沈む姿を楽しむことができます。 |
モアイが頭に乗せているプカオが切り出された場所です。小高い山の上からはハンガロア村が一望できます。かつて島では髪を赤色の顔料(キエア)で染め、髷を結う習慣があった。それゆえにプカオの材質は赤い石、赤色凝灰石が使われています。またプカオにはいくつかのデザインがありますが、これは髷の結い方の違いを表したと言われています。 |
| VAIFU・バイフ |
AKAHANGA・アカハンガ |
8体のモアイがうつ伏せに倒れている場所です。17世紀中頃〜19世紀中頃にかけて倒されたもので(フリモアイ)、部族間の争いが主な理由と考えられています。負けた部族は象徴であるモアイを倒され、入れられていた眼が取られ、眼にはマナと呼ばれるパワーがあると信じられていたため徹底的に破壊されました。アフの前にはパイナと呼ばれる宗教儀式の部隊も残されています。 |
フリモアイ(モアイ倒し戦争)によって倒されたモアイがそのままの状態で残されています。13体のモアイが立っており規模の大きな集落があったと推測されています。住居跡のハレパエンガ、釜戸跡のウムパエも見どころです。伝説の酋長ホツマツアが葬られている場所ともいわれています。 |
| AKIVI・アキビ |
ANA TE PAHU・アナテパフ |
唯一海を見ている7体のモアイがある場所として知られています。その7体のモアイは伝説の酋長ホツマツアがイースター島を見つけるために派遣した7人の使者を祀ったものだと言われています。7人の使者、そして酋長ホツマツアの故郷ヒヴァの国を望んでいるので海側を見て立っています。モアイの見つめる先は春分・秋分の日の日没方向とも重なり、美しい夕日を楽しむ事ができます。 |
海底火山の隆起によりで来たイースター島はところどころに洞窟があります。その中でもこの洞窟は最大規模で、全長900メートルもあります。このアナテパフには人も住んでいたと推測されています。19世紀にたびたびやって来た奴隷狩りから逃れる為、人が隠れていたともいわれ、イースター島の歴史を語る上で重要な洞窟でもあります。 |
| RANO RARAKU・ラノララク |
TONGARIKI・トンガリキ |
モアイの「製造工場」ともよばれるこのラノララクで、ほとんどすべてのモアイが作られました。様々な製作過程のモアイ約400体が、1500年代から時が止まってしまったかのように、そのままの状態で残されています。山肌から切り出される前のモアイや土に埋もれているモアイなど、様々なモアイを見ることでいかにしてモアイガ作られていたかがよくわかるモアイだらけの山です。 |
15体のモアイが堂々と立ち並ぶ姿がまさに壮観。かつて島最大の集落があったと推測される場所です。イースター島の東側にある為、モアイの間に昇る太陽を眺めることができる日の出スポットでもあります。これらのモアイは日本のクレーンメーカー「タダノ」の協力により修復・復元されました。1体だけ土の上に立つモアイ・ホツイティは来日経験があります。(1982年イースター島展) |
| TE PITO KURA・テピトクラ |
ANAKENA・アナケナ |
伝説によると酋長ホツマツアがこの場所にマナと呼ばれるパワーを秘めた不思議な丸い石をおき、世界の中心だと定めたと言われています。また、一度立たされたモアイでは最大のモアイ(9.8メートル)が倒されたまま残っています。テピトクラとは光のへそという意味です。 |
白砂のビーチ、ヤシの林が美しいアナケナ。アフ・ナウナウのモアイは砂に埋もれていたため風化が進まず、目鼻立ちがくっきりし、背中のレリーフもよく残っています。アフ・アトゥレフキの1体のモアイは酋長ホツマツアを祀ったものだといわれ、1956年トール・ヘイエルダール指揮のもと再び起されたモアイです。村人達のピクニック場所にもなっているため、軽食を売る露店やトイレがあります。 |